2014.08.29
豪雨災害に思う
広島市安佐南区などの大災害を見るたびに思い出すのは、15年前の1999年6月29日のことです。
私は中国新聞で朝刊づくりをしていました。
午後5時に1回目の編集会議があり、あすの朝刊にどんなニュースを盛り込むか、発表する役割でした。
会議直前に、「佐伯区で大雨。行方不明者も多数出ているもよう」との第一報が飛び込んできました。
新聞社のある中区では晴れています。
「誤報じゃないのか」と思いつつも、「社会面を全部空けます」と発言した記憶があります。
広島市、呉市などで死者39人を出す大災害になりました。
狭い範囲に集中的に降るゲリラ豪雨の怖さを痛感したのはこのときでした。
ある講演会で
「伊勢湾台風(1959年)以降は日本では災害死者が年間千人を超えることはなく、災害は防ぐことができるという過信が生まれてしまった。しかし、阪神・淡路大震災(1995年)からは大災害が続出している。災害は防げない。被害を少なくする減災を目指して自助努力を怠らないでほしい」
という話を聞きました。
日本は災害多発期になった▽防災ではなく減災しかできない▽自分で生き残る術をまず考えよう。この3点に要約できます。行政機関の救助活動(公助)が本格化するまでは、「自助」と向こう三軒両隣の「共助」で生き延びなくてはならないのです。
他人事ではなく竹原市の中心部に出している中国芸南学園の「デイサービスひろば」も8月16日と22日の2回、大雨による浸水被害に見舞われました。
もともと低地帯で高潮被害が多いとは聞いていましたが、雨による浸水は近所の人も「これまでなかったよ」と言っています。
1階の一部が床上浸水したため、一時休業に追い込まれました。
夏休み中の子どもさんの利用などに迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びします。
今回の大災害で犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、学園の防災対策もきちんと見直したいと思っています。(園長・藤元康之)